“(Exhibition-/-Santiago…)” – term A 会場仮設

>> 17/04/12 12:20 PM up

“(Exhibition-/-Santiago…)” – term A 会場仮設

 

仮設作業#1「裸足でバスケットボールをする」

日時:4/26(水) 17:00~18:30
場所1(集合):CSLAB
場所2(実施):東京造形大学体育館

マニラのストリートでお馴染み、裸足でバスケットボールをおこなう。1891年アメリカの体育講師、ジェームズ・ネイスミスによって開発されたその楽しげな近代スポーツには、他のそれらと同様、コロニアリスティックで、ファロセントリックな匂いがまとわりついているかもしれない(ほか、競争主義、記録主義、効率主義など。またルール自体に近代社会の特徴が色濃く反映されている、ということ。けれどもバスケットボールは楽しいのだけど)。

今回、それらを頭の片隅にバスケットボールをおこなうことで、改めて各々のイズムの匂いを嗅いでみようと思う。

節々の痛みと汗をともない、着工する。

企画:森尻 尊
コーディネート:小山 友也

主催:raccoon dogs teakettle、CSLAB

アクセス:JR横浜線相原駅下車、東京造形大学バス乗り場からスクールバスにて5分。(徒歩15分)
スクールバス時刻表 → http://www.zokei.ac.jp/m/bus1.html

問い合わせ:raccoondogsteakettle@gmail.com(森尻)

※このイヴェントとその記録は、“(Exhibition-/-Santiago…)”term Aで仮設されるサンチアゴ要塞の一部となります。あらかじめご了承ください。
※運動しやすい恰好でおこしください。

other plans↓

仮設作業#2「何もしない」5月17日(水) 場所:CSLAB
悲惨な出来事が起きたとされるその場所でも、何もおこなわれていない時間があったかもしれない。そして今は何もおこなわれていないかもしれない。このイヴェントは何もしないことの再演であり、文字通り何もしない(いや、何もしないをする)。それでも何かしているとしたら、何をしているのだろうか。

仮設作業#3「重い物を運ぶ」6月14日(水) 場所:CSLAB
スペイン植民地時代、サンチアゴ要塞建設の際には様々な強制労働者たちが重い物を運ばされていた。実際に重い物を運んでみる。運んだそれは、会場の一部になる。

仮設作業#4「軽い物を貼る」6月14日(水) 場所:CSLAB
仮設#3に引き続き、壁にサンチアゴ要塞の石垣の画像を貼っていく。弾痕が多数ある画像を繰り返し、壁に貼っていく。要塞を建設する。

仮設作業#5「リサールをスケッチする」7月9日(日) 場所:日比谷公園
日比谷公園にあるフィリピン独立の父、ホセ・リサールの像を、処刑時の銃身とリサールの距離を再現し、写生する。

仮設作業#6「会議をする」7月10日(月) 場所:CSLAB
仮設作業の総括としてレクチャーとトークをおこなう。

memo

場所は、出来事(物/事)で成り立っている
サンチアゴ要塞についての物事を再演(イヴェント)する
再演(イヴェント)自体とその痕跡、記録は、サンチアゴ要塞の部分的な仮設である、と規定する
イヴェントをいくつか重ねることで、サンチアゴ要塞の一部を仮設する
イヴェント自体とその痕跡、記録は、直接的には表されていないサンチアゴ要塞の他の部分を示唆する可能性がある

イヴェント(再演)は、他者を想像、思考する技法についての試みでもある
イヴェント(再演)は、他者について、自分がそうであったかもしれない、あるいはすでにそうであるかもしれない可能性を想像、思考する試みでもある

出来事は、ほぼ繰り返されているかもしれない
出来事が、ほぼ繰り返されているとしたら、そのことについてどう考えるべきだろうか

サンチアゴ要塞は、スペイン植民地時代の初期、1571年~マニラのイントラムロス地区の北西の一番端に建設された軍事要塞。
イントラムロス-Intramurosは、「壁の内側」という意味で、サンチアゴ要塞に連なるその壁は、地区全体を囲いこんでいる。第二次大戦中、約10万人の市民が命を落とし、多くの建物が破壊された、いわゆる「マニラの戦い」の中心戦闘地のひとつ。終戦後、再建、解体がすすみ、現在はスペイン植民地時代の建築物などが並ぶ人気の観光スポットになっている。また、マニラ市立大学、フィリピン・リュケイオン大学、サン・フアン・デ・レトラン大学、マニラ高等学校、サンタ・ローサ学院など、いくつかの高等教育機関の拠点となっている。
サンチアゴ要塞-fort Santiagoのfortは、前線または要塞を意味し、Santiagoはスペインの都市(エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつ)、あるいは9世紀スペインのその場所で遺骸が発見されて以降、当初のイベリア半島レコンキスタ(キリスト教勢力によるイスラム教国家の再征服運動)のシンボルになった、守護聖人「San Santiago(聖ヤコブ、St. James)」に由来していると思われる。
サンチアゴ要塞は、アジアの軍事拠点として、重要な場所だった(マニラはガレオン貿易の中継地点として重要な役割を果たす港街だった)。約300年に渡るスペイン支配の後(一時的にイギリス)、アメリカ、日本などに占領される。度重なる地震と戦争で、損傷するも、その都度補修、再建される。
1896年、フィリピン独立の父、ホセ・リサール(1861年~1896年、革命家、医師、小説家、詩人、画家、学者)がスペイン政府によって幽閉される。要塞のすぐ横にはパシグ川がマニラ湾に流れている。1942年~1945年の日本占領中には、満潮時に川の水を引き、多くのフィリピン人が殺害された。現在、要塞跡には、リサール記念館、公園、カフェ、売店などがあり、観光客や、現地の人々の憩いの場となっている。

現在のサンチアゴ要塞にはどこか「空虚な場所」、といった印象を覚える。かつて在った場所の「抜け殻」的な感じ。「死の痕跡」というより、「痕跡の死」そのものがあるような。あまりの穏やかな雰囲気と、過去あった出来事のギャップ、壁にのこる弾痕がそう思わせたのかもしれないし、そもそも「遺跡」というものは、そういうものかもしれない。

ひょっとしたら、サンチアゴ要塞は、人々の記憶、生活の中に溶解してしまったのではないか。マニラの音楽や、波のリズム、人々の仕草、社会など、サンチアゴ要塞の「周縁」の方に、よりサンチアゴ要塞的なものを感じる(もちろん、これは主観的なうがった見方にすぎない)。そもそもサンチアゴ要塞的なものは、そこら中にあったのかもしれない。粒子のように。たまたま「何か」がそれを(「人」という言葉でくくることにはどこか違和感がある、人に関係している「何か」としておく)サンチアゴ要塞として結節してしまった、具現化してしまっただけなのかもしれない。その「何か」とは、一体どのようなものだろうか。もしかしたら「何か」はそこら中にあるのかもしれない。とすれば、サンチアゴ要塞は「部分的に」どこにでもあるのかもしれない。と、考えてみる。そのサンチアゴ要塞の部分を、CSLABという場所において、仮にも再結節(仮設)してみること。そうすることで、サンチアゴ要塞、ひいては「場所」について、わずかながら考えることができるのではないか。

“(Exhibition-/-Santiago…)” 会場仮設担当 森尻 尊